徳之島北部観光マップ

岡前排水路完工碑文

執筆者
中村芳雅
公開日

岡前排水路完工碑文 石碑拝山遺跡を散策している中、ふとその傍らに石碑があることに気付いて足を止めた。
その石碑には「岡前排水路完工碑文」と書かれている。
文面から、端的に「岡前集落の排水路が完成した記念」ということになる。
このように、何らかの建築物が完成した際に、その記念碑を作ることはよくある。
ただ、それらは必ずしも「外向け」のものばかりでない。
この記念碑も、いまでは観光マップに記されることはなく、知る人ぞ知るものになっているのだろう。
しかし、ここに刻まれた歴史はきっと当時の人に多大な価値があったことを示している。
また、その価値は現代にもその跡を確認できるのではないか、という期待を与えるに十分なものがある。
そういった理由から、僕はこういった石碑の全文解読に結構な労力を掛けたりする。
今回も、その期待を胸に抱き、碑文をじっと凝視してみた。

この石碑の語るところによれば、この岡前一帯は今でこそ一面見渡す限りの畑だが、昔は土壌が非常に緩くて農業には困難な土地であったらしい。
しかし昭和49年(1974)、約2年間の歳月をかけて、ここに排水路が完成するに至ったらしい。

岡前排水路完工碑文 農耕地
この文面を読んで、改めて耕作地の風景に目を向けてみる。
見事なぐらいに一帯は耕作地で埋め尽くされている。
この広々とした風景は、僕が大好きな徳之島の特徴の一つだ。
しかし、この畑はただ自然が与えてくれたのではない。
人が森林を切り開いて作り出していったものだ。
僕はそう考えていた。
「森林を切り開いて作り出していった」
それ表現自体は決して間違いではないだろう。
しかし、石碑を読んでから考え直すと、この「森林を切り開いて作り出していった」という言葉はどこか浮ついた印象があるように感じた。
この石碑は、耕作地が作り出されていく過程を眼前に示してくれている気がする。
この畑はただ自然が与えてくれたわけではないが、「森林を切り開いて作り出していった」という理解は、実はあまり「自然が与えてくれた」という理解から大して変わっていないのかもしれない。
問題なのは、そんな理解じゃなくて、人間が何をしたかということか・・・・・・。
ほんの数百文字のこの文面は、また一つ、僕の不勉強を学ばせてくれた。

岡前排水路完工碑文 耕作地そうとなれば、この排水路を見ずには帰れまい。
普段は素通りしがちな農道を、車ではなく自分の足で踏み入れてみることにした。
よくよく考えれば、実は農道を自分の足で歩くのは、これが初めての体験かもしれない。
当たり前ではあるが、一面畑が広がっている。
やっぱりこれ、すごいよ・・・・・・。
都会の高層ビルとか、そういったものも確かにすごい。
しかし、この一面に広がる畑を見ると、何だかそれとは異なる歴史の凄みを感じる。
もちろん、都会もその建築物が作り出されるためには、物理や数学、建築学等の様々な集積によるものであって、その歴史を軽視することはできない。
その歴史を否定するわけではないが、何となく印象として、都会の建築物はその歴史よりも歴史の中で作られた技術ばかりが重要視されて、歴史の比重が比較的小さい気がする。
それに対して、こちらは技術的には遠く都会の建築物には及ばない。
しかし、排水路建設当時、ここに住む人々が農業のために排水路建設を必要としていたこと、そしてその完成後にこの一面の畑を獲得していったこと、そういった人の生きる過程を感じることができる。
こういった歴史の重みが感じられるって、やっぱりすごいことだ・・・・・・。
初の農道散歩は、様々なものを僕に教えてくれる気がする。

岡前排水路完工碑文 排水路
恐らく、これが昭和49年に完成したという排水路なんだろう。
とても小さく、これが特別な意味を持っているなんて、いまでは誰も思わないだろう。
でも、周辺に一面の耕作地が広がるのは、この排水路による部分が大きいのだろう。
僕が見ると、この排水路はものすごく大きな意味を持つ。
しかし、それは意味があるからといって、例えば文化財として特別に保護して人が近づかないようにする、とかそういったものではない。
当たり前にここにあり、いまも使われていて、そして誰もこの存在に感動したりしない。
だから意味があるんだと僕は思っている。